権藤 種盛
?〜1600 県(あがた)(延岡)城主 高橋右近大夫元種の家臣。
豊臣秀吉によって移封された、高橋元種は、その領内 宮崎城(池内城)に
権藤 種盛をおき、これを守らせた。奈古神社文書(写)の
『宮崎北方南方池内御給人衆到着』26人中にその名がみえる。1600年
秀吉なきあとの関ケ原合戦では、日向の諸将はほとんど石田三成にくみしたが、
ひとり伊東氏だけは黒田如水と通じ徳川方に荷担した。伊東氏の臣で清武城
主であった稲津掃部助は、この機に宮崎城を攻め、近隣諸国をおびやかした。
種盛は、県に援軍を頼んだが来てくれないため、嫡男仲左衛門種利、二男八
右衛門種公とともに討ち死にした。
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