さて、ぼちぼち行きますか!!
と、その前に、和睦から続いて来た、この
島津主役の武者行列。
いまいち、全国的にメジャーではない、島津を地元の島津びいきの独断で語らせて
頂きます。
私の島津感
ウム、とにかく一番の魅力はやはり強さでしょう。
島津の強さは比較的に、タイ捨流、示現代(これは江戸期)の個々の強さや、
厳しい軍律、「捨て奸」
に見られる、気合の部分が取り上げられがちですが、
日本三津のひとつとうたわれ、遣唐使船の発着
港として内外にその名をとどろかせた、
坊津港からの独自の貿易ルートによる、経済力、技術力、
海外に対する好奇心や研究心。
又座当、僧侶や琵琶法師、根来衆にまで通じ、常に
中央の動向に注目した諜報力、さらにその
分析力などが、時の権力者を相手に有利に事を運ばせる
外交手腕に結び付き、武人としての確固たる哲学が
時勢までもを味方に付けるたのではないでしょうか?
又関ケ原の際、真田が家を守る為に二つに分かれたのは、
有名ですが、南北朝からの身の振り方なども、島津は
同様の方法をとっています。島津四兄弟なども実に自分の
役割を果たし島津を守ってきたと言えるのではないでしょうか?
九州制覇を見ると、片方で握手を求め、片方で握手に応じなければ
徹底的にやると行った態度を見せていたようにも思えます。
当然、文頭で述べたように、いざとなれば、とことん行っど!!
という牙も持ち合わせております。不利な戦況を勝ち戦に持って行った
数では、島津は一二を争うのではないでしょうか?
鉄砲開発や鉄砲を使った戦術に関しては無論(益々、長くなるので
止めときますが)
甲冑に関しても、限りない工夫がされています。
九州制覇の当時、島津は独自の革制鎧兜を多用し主力としております、
革鎧は軽く遠征などには、とても足早に進軍が可能だったと思われます、
防御力も革を何層にも膠で固めた薩摩鎧は、ちょうど現在の
防弾チョッキのように威力を吸収し、鉄に勝とも劣らないそうです。
あまり知られてはいませんが、この革鎧の最大の利点は、
浮力!!
島津得意の河川の闘い(耳川、泗川)で、有名な
「釣り野伏せ」
と併用し、敵を河川に誘い込み、相手は溺死と言うのが
大半だっただろうと推測されます。
当然、革鎧を浮き輪変りにする島津軍に溺死者は無し。
更には、甲冑製作も完全分業制を取り徹底した合理化で
量産にあたった、これも当時、異例だった、
と甲冑武具の第一人者の大先生の書で
読んだ事があります?(確か?)うちも見習わねば(笑)。
戦術、戦略、兵器の絶え間無い工夫、
又個々の強さの鍛錬を極限まで求めながら、
個々の強さが、たかが知れていることを悟り、徹底した集団戦術をとる、
薩摩隼人やっぱ強えーぞ。
もう一つだけ、言わせてもらうと、朝鮮に猫を抱いて出兵した
義弘を他の武将は、のんきな殿様と
小馬鹿にしたそうですが、猫の瞳の大きさから、夜襲の時刻を
ピタリと合せ一斉攻撃を仕掛けた島津軍に周りの武将が度肝を
抜かれたと言う話なども残ってます。
父、貴久公はサラブレッドを軍馬に改良しようとしていたとか....
もう、語り尽くせないので、この辺で、勘弁してあげますが、
とにかく、非常に困難な中を森羅万象ありとあらいるものを
味方に付け様と、限りない努力を続けた
島津の
姿勢が、私は大好きです。皆様も今後益々、島津に一目置いて
下さいね。なんたって鎌倉より明治まで一所で
名を轟かせ続けたのは、島津のみでしょう?
ある意味NO1!!の最強軍団です。
私の四兄弟感
写真も絵も無くて字ばっかりなので、私もぼちぼち限界です。サクット終わらせますので、
もう少し、お付き合いを。
島津義久........ウーン、あまり見えない、掘り下げると余計遠くなって行くような、
義弘の上に顔の見えないショッカーの親分みたいのがいたら、皆不気味でしょ?
島津義弘........いざと言う時、先頭走れる大将ってーのは、一番の魅力。
一番好きなエピソードは、関ケ原後の大坂城からの妻と亀寿姫の人質救出かな?
薩摩隼人は普段は男尊女卑などと威張ってるが、ここ一番、命に代えても女性を守るのだ
実はわかっていて普段は殿方を立てる薩摩おごじょ、が一番強かったりする。
と言う事で頑張れ丸竹レディース
島津歳久........”金吾さーあ”で我々の住む、北薩では今でも慕われています。秀吉が一番注目
していて、秀吉の天下人をいち早く感じたのもこの人、他兄弟に反し秀吉を軽視
しなかった。しかし戦が始まれば、徹底して秀吉に対抗し中央への反骨精神を兄義弘や
明治維新にまで残したのも、この人ではなかったのだろうか?
島津家久........”すったれ(末っ子)”を一番、自覚してしっかり、”すったれ”役を演じている
島津得意の奇襲、夜襲をさせれば一番でしょう。行け!!行け!!島津の特攻隊長!!
秀吉も一番恐れたとか?とにかく島津四兄弟は自分の役所をキッチリこなしてる
色々あっただろうが、兄弟仲良しが、当時の島津の最大の強さではないだろうか?
九州征伐後、秀吉に会見を迫られた、歳久は「痛風が痛くて会えません」と又
関ケ原後、家康に会見迫られた義弘は「銭が無いから行けません」などとピンチの
時でも、実にボッケ!!な回答をしている、この痛快さも島津魅力に一つです。
初めて島津に触れる方、少しは島津が好きになって頂けたでしょうか?
これはあくまで、独断と偏見なので、他のHPなどで、しっかりお勉強してくださいね。では、いよいよ、
「実況!!関ケ原 The pride of satsuma」開演です。
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