川内はんや祭り
実況!!関ケ原
The pride of satsuma

布陣編
神輿のパレードが終わり、ROUTE3はもぬけのからに、いよいよ島津軍 が関ケ原に陣を構えるべく行進が始まります。 先ほどまで、敗残兵状態だった戦士達もキリッとした顔つきで 4列縦隊の隊列を組み緊張の中、進軍の合図を待ちます。
「大いなる西部」のテーマが流れ(本当はもっと、ドンと来ないといけないのだが) 、島津軍行列先頭、川上四朗兵衛殿(役)の「進軍!!」の 合図で進軍が開始されます。この時、川上殿と私はピッタリアイコンタクトが取れており、 今日は行けるぞ!!と思ったのだが...。 申し遅れましたが、
「実況!!関ケ原」 実況はKTSアナウンサー堀口健。解説は「難しい歴史をわかりやすく」でお馴染みの 「市民劇団シシン川内」代表の羽坂光昭でお送り致します。 BGMが鳴ってすぐ、実況!!が開始される手はずなのだが.....この時、 私の中には一抹の不安よぎっていた。とりあえず、携帯で本部に指示。
さておき、島津軍は主将島津義弘 副将島津豊久、阿多長寿院盛淳、後醍院喜兵衛宗重、捨て奸で義弘の身代わりとなって散った武将や 川上四朗兵衛、柏木源藤、中馬大蔵 と徳川勢の追撃を押さえ、薩摩まで帰郷したツワモノ揃いで構成されております。 写真上は島津義弘役、田所助役
行列開始からしばらくたって、やっと実況開始(おいおい) 時は慶長5年.. まずは、総勢16万とも言われた、この関ケ原に「島津」が何故1500ほどの軍勢だったか? の解説から、簡単に言えば、九州制覇、VS秀吉、朝鮮出兵と 疲弊しきった島津には、関ケ原へ兵力を送る余力がなかったん だろうと思います、この時、九州は清正が筑後、柳川城、立花宗重 を包囲、小西行長、居城、宇土城を一気に攻略、隙きあらば島津領内へと 虎視眈々と狙っており、又、黒田如水は関ケ原の戦況次第では、 九州を押さえ一気に徳川に対抗すべく動いています。 この天下分け目の決戦は、九州内も一触即発の緊張があったはず。 関ケ原に主力を送り、帰る場所を失うなんて事は、島津は決してやりません。 一見、兄、龍伯(義久)の義弘に対する冷たい仕打ちの様にも取れますが、 きっと、その事を一番、理解していたのは、義弘その人だったのでは ないでしょうか?
しかし、国許の無い中、「殿」の為と、佐土原勢を引き連れ関ケ原に駈け付けた 島津豊久、(これは完全に軍律違反であるが、龍伯も黙認していた様子。) や畑仕事のさなか、そのまま関ケ原に走り出し、路銀から具足まで途中で調達(奪った) したなどの逸話の残る中馬大蔵など、この関ケ原に集まった島津勢は 義弘の為、薩摩の誇りの為と集まった薩摩武士なのである。
わしゃ、泣けてくるね。 写真右は島津豊久役、 「どうですか、お客さん」と言っている。(ウソ)

さて、この時点で我々裏方軍は、と言いますと、「こちら島津軍、ぼちぼち徳川軍待機願います........ん?」 無線死んどるやんけ。マー携帯、携帯!!、そして「ぼちぼち、インタビューへ..............」 マイクも死んどる、音響さんよー実況レポートでマイク死んどったら仕事にならんどー
しかも、今年で3年連続、この時点で眉間にシワ二本!!とりあえず、かろうじて入ったり、止ったり するマイク一本をリポーターの姫と殿が右往左往しながらインタビューしてくれていました。 本当に頑張ったね!!ビールも抜けたろう。私も「島津奔れ!!」と心の中で応援しておりました。 この辺から、私も含め全軍浮き足気味。 一応西軍、仮想、鶴翼の陣で東軍を待ち受けます。

続いて「STAR WARS」の大音響にのり仮想東軍&徳川軍の布陣です。 徳川軍は東軍総大将
徳川家康をはじめ 四天王
井伊直政、本多忠勝、 に、初陣の松平忠吉 と、こちらも直参の猛者ばかり、島津またまたピーンチ
見事な隊列を組んでの行進、 流石はプロの皆さん。
馬上、大黒頭巾で参戦の家康公には 自衛隊、坂下業務隊長、今回も葵と同様の甲冑 が多数出陣しております。本当は黒田長政、 福島正則などの甲冑も出したかったなー。


お問い合わせ
当社 info@yoroi.co.jpまで
戻 る 次へ