川内はんや祭り
実況!!関ケ原
The pride of satsuma
開戦編
西軍、東軍ともに関ケ原に布陣、いよいよ開戦の火蓋が切って、落されます。 まずは、井伊直政&松平忠吉が、仮想、東軍先鋒、福島正則隊、可児才蔵 を振り払い、鉄砲をしかけます。
宇喜多VS福島、三成VS黒田&細川の仮想戦闘が 続きます、戦局は東軍、西軍、共に一進一退ですが、島津軍は、来る敵を追い払うのみで、 不動の構えを見せております。
今年は、よりリアルにと鉄砲隊には「畳鎧」を使用しましたが、 不評の様でした、やはり、兜の方が様になりますので、 来年は又2枚胴に変更しますね。(多分)
ここで、徳川方鉄砲隊は、仮想、小早川隊に発砲!! 徳川を恐れた小早川勢の寝返りで、一気に西軍は総崩れ、西軍で陣を構えるのは 島津一軍となってしまいました。
この時点で、実況がピッチャー振りかぶって、と言ってから、 ピッチャーが振りかぶると言ったような、非常にギクシャクした 状態でした。さらに解説が間を持たせようとアドリブ入れてくれるのですが、 それにより、徳川軍、武者達は、余計に自分の出番が何時なのか、 戸惑ってしまっている様子。 無線無し!!マイクも未だ不安定!!ベテランSTAFFは全軍「くまもと時代行列」へ、携帯は鳴りっぱなしで つなげない!!どうする裏方軍、島津軍よりピーンチ!!
敵中突破偏
その時、島津の決断は、徳川本陣の中央突破!! この決断は島津独特のものでしょう、 例え、他は全滅しても大将を救うと言った 徹底した信念を持った軍団だからこそ 成せた選択だったのだと思います。 当時66歳の島津義弘を救う道は、他には 無かったと思います、 (恐らく輿での移動でしょうから) さらには、秀吉子飼いの 東軍、武将の気質や内情等もよく判っていればこそ、 この道を突き進んだのでは無いでしょうか、 よく書物などには、福島隊などは、島津の軍勢を恐れ道を 開いたなどと書かれていますが、 半数の700程度に減ったとはいえ、 最後の力を温存していた「島津」に7時間近い死闘を 繰り広げ、かなりの兵を失った秀吉子飼いの連中が これ以上兵を減らそうとは思わないでしょう、 逆にほぼ、無傷の家康本隊に突進する島津をみて、 応援したくなっても、おかしくはないのでは? ましてや、先鋒を井伊直政に取られた、福島正則などは、 家康の首はねてくれれば、位の腹はあったのでは?とこれも 独断と偏見で思ってますが、この辺の心情を島津は、 後の戦後外交でもフルに利用しています。
この時、島津軍、殿(シンガリ)
島津豊久
は義弘の着用していた甲冑と自分の 甲冑を着替え
「捨て奸」
で影武者 として、散る覚悟を決めたなんて説もありますんで、ひょっとすると、当甲冑人気投票で現在 2位の尚古集成館蔵の濃紺威の腹巻は
島津義弘
、豊久共に着用していたなんて事もあるかも知れませんね。
さて、祭りの方は、台詞は飛ぶは、マイク入らんはで、こちらも総崩れ状態!! 本当は、裏方は行列には入りたくないんだけど、この時は「奔った!!」、「奔った!!」 「声張り上げた!!」、「張り上げた!!」 来年は、米沢上杉まつりの様に忍者の格好しないといけないのかなーなどと 思ってしまいました(笑)。とりあえず立てなおし完了?!いったれ豊久!!
この殺陣はシシン川内の皆
今年は益々パワーアップだ
JAC見たいになるのか?
わずか、十数名の手勢で、裏切り者の仮想(笑)小早川秀秋隊の追撃を蹴散らす、 殿(シンガリ)、豊久隊。末弟、家久の子とし、家久の死後、 義弘を父の様にしたっていた豊久。家久の死を 一番、悲しみ豊久を我子の様に扱った義弘。 こういった事も、強さの一部だったのだろう。
さらに、島津を執拗に狙う井伊直政部隊 相手に一歩も引きません。 鬼島津VS赤鬼きっと壮絶だったんでしょうね。 しかし多勢に無勢、豊久もついには、囲まれ 打ち取られてしまいます。槍に七度突かれ中に舞ったとか? 尚古集成館蔵の腹巻には槍の後が数ヶ所ハッキリ残っています。
同時に進展させてもらっている、裏方軍奮闘記!!この時点で、私の眉間シワは、 3本くらいだったのだが、このシシンの迫真の殺陣の足元を爆竹が 「バンバン、バンバン」邪魔しておる。皆がやりにくそうな事を、 察知した私は、早速、効果部隊へテレビ局と信頼していれば、 若造どもが、殺陣やりにくそうなのを知ってて、楽しんで足元に投げている様子。 ここで、流石に怒髪天を突き「わいドンな!!そいでんプロか!!」 怒涛の一喝!!私も含め今後は、プロ連中が自覚せんと、 一生懸命祭りを盛り上げてくれる皆に申し訳がたたん、と強く感じた 一瞬でした。海より深く反省。
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