川内はんや祭り
和睦
開戦編
時は、天正14年、島津氏は、肥前、肥後、筑前、筑後と九州の大半を、 その、手中におさめ、関白、豊臣秀吉の大友氏との和睦斡旋をけり、 豊後の国へ総勢四万の軍勢を送りこみ、つぎつぎと城を落とし、九州統一を なし終えようとしていた。しかし天下統一を目指す秀吉はこれを許さず、 九州征伐と称し、二十四万の大軍勢を引き連れ、九州へ。
秀吉はみづから肥後路へ、 弟、秀長に日向路を任せ島津を攻撃。島津四兄弟は、長兄義久を総大将とし 力を合わせ応戦したが振るわず、島津総力戦ともなる日向高城根城坂、 の死闘で後退。 秀吉は、肥後佐敷から、船で出水に上陸、一気に薩摩に攻め込み、出水、阿久根、 水引の城は、一戦も交えず降伏。 しかし、桂忠昭を城主とする川内平佐城は、祁答院氏、入来院氏などの 総勢400あまりでこれに応戦、秀吉精鋭部隊1万2千を相手に、一歩も退かず、 薩摩武士の最後の意地を見せつけていた。
天正15年、5月秀吉は、ここ川内に本陣を移動。ここに、島津氏と秀吉の最後の 決戦が、行なわれようとしていた。
というオープニングからはじまる「川内はんやまつり」ちょっと脚色はってますが 大体こんなところだったろうと思います。 どうする島津いきなりのピンチー!!
迫り来る秀吉先鋒隊(写真上)は熊本で使用する大砲の安全試験を体を 張って行なっている、丸竹産業轄b冑師軍団、当時こんな大筒は無ったが、 お祭りと言うことで平に。裏方の我々が参加するのは最初で最後だろう。 でも、行列の先頭は気持ちイイー
陣をかまえる豊臣軍団!!戦の前の静寂を保っている。 「豊臣秀吉」 の、「いよいよ島津との決戦の時じゃここ川内の地、一気に攻め落とし 島津を滅ぼしてくれようぞ!!」のセリフで、 物見の馬が走ります!!この馬の滑走も見せ場の一つ、 この”和睦”では五頭の乗馬馬が堂々と闊歩します!!
物見は鎮西小笠原流流鏑馬、宗家、源殿 
大砲も「ボン!!ボン!!」と!!たまにこけるのはご愛嬌。


攻める豊臣鉄砲隊、何故か赤備
迎え撃つ島津鉄砲隊!!

開戦!!の口火を切るのはこの鉄砲隊、鉄砲隊長の号令で一斉射撃開始!!
当時、島津は上級武士が種子島を撃ち、その命中率は他に比べ桁外れ、関狩という戦法で 弾込めの待ち時間も解消している、武士道を重んじながら、鉄砲も決して軽んじない 合理性も島津の強さの一つ。
いけ、いけー!!

鉄砲隊の次ぎは、槍隊、島津、豊臣両軍の槍衾が突進!! やがて、抜刀隊が入り乱れ大乱戦へ、
行け!!行け!!島津!! 豊臣連合軍20万ごとき蹴散らせ!!
甲冑を着てのダッシュ、殺陣!!息も切らせないのは流石自衛隊さん、 ちなみに甲冑より自衛隊さんのフル装備のほうが重いそうです。





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